この記事では、質問にお答えする形で、嫌われる勇気についてお伝えいたします。※アドラー心理学の書籍「嫌われる勇気」を解説したものではありません
Q&A 嫌われる勇気が欲しいんですが、正しいこととは思えなくて…
とてもまじめで、熟考を重ねた悩みだと思います。嫌われる勇気が必要だと心が言っている、でも、やはり怖いし、ましてや価値観的にも抵抗がある。だからどうしていいのか分からない。
嫌われることが怖いのは、あたりまえで自然なこと。問題は、嫌われることがいけないこと、という価値観の方です。嫌われることは、良くも悪くもあり、良くも悪くもないのです。
・尊敬している人に対する誤解
例えば、愛の化身であるイエス・キリストは、彼を恐れ嫌う当時のユダヤ教徒によって、磔にされました。非暴力で世界的に尊敬されたマハトマ・ガンジーも、彼を恨むヒンズー教原理主義に暗殺されます。現代の聖人マザー・テレサでさえ、クリストファー・ヒッチェンズ氏を始め、彼女を嫌い、批判する強い勢力がいました。尊敬する人が多ければ多いほど、嫌う人も増えるのです。
ただし、嫌う人がその人の周囲にいても、あまり表面には出しません。なぜなら、出してしまうと自分が嫌われるからです。その人が好かれていればいるほど、それは力になり、嫌う人を黙らせるので、周囲にはわかりにくいのです。
・嫌われることはいけないこと?
人に尊敬される人たちは、嫌われることはいけないこと、と思っているでしょうか? ただ、自分の心に従ってきただけかもしれません?
嫌われることは、誰にとっても辛いことです。でも、尊敬される人たちには、嫌われることより大切なことがあったのではないかと思うのです。それを大切にすることで嫌われるなら、それでもいいと思ったのではないでしょうか。
嫌われることが正しいこと、なのではなく、次のようなことだと思いますーーー本人にとって正しいと思うことをする人は、その反対の価値観を持っている人に嫌われる可能性がある。
それは、愛情という普遍的なものの化身であったイエス・キリストのような人でさえそうなのです。
・「嫌われる」ことを意識するのではなく、「嫌わない」ことを意識してみる
であれば、「嫌われない」ことに意識を向けるのではなく、「嫌わない」ことに意識を向けてみてはどうでしょう。
「嫌われない」は、他人に自分を嫌うな、と束縛していることでもあります。私はあなたのためにこうするから、あなたは私を嫌うな、という内心の命令で、他人の領域に踏み込んでいます。これは、あなたの価値観からずれているかもしれません。
だから、あなたは、自分の領域で処理できることに意識をむける。それは、人を嫌わない、ということ。自分は、自分の理想や価値観に生きる。それで嫌われても、その人を嫌い返さない。
・頭(理想や価値観)と心とは別物
「嫌わない」という意識は、素晴らしいです。が、聖人のレベルかもしれません。それをオススメしてもあまり現実的ではないのですが、指標としては持つことができます。
人は心と頭(理想や価値観)と身体があります。心はあなた本来のもので、あなたの本質です。頭は、さまざまな経験や勉強から、理想や価値観を作り出します。これらは同じではありません。
理想や価値観が心と合っていない場合は、心が病気になります。身体と合っていなければ、身体が病気なります。たとえ理想や価値観が、一見、他人の称賛を得るようなものでも、知らずに心や身体を攻撃することがあるのです。なので、常に心や身体、特に心を意識してください。
【Q&A】嫌われる勇気:嫌われるって正しいこと?【まとめ】
たとえば、「NO」と言える、自分の意見を言える、笑顔を作らない、などは、あえて人を傷つける行為ではありません。しかし、嫌われる可能性はあります。でも、尊敬される人は、これらのことをしっかりと行えるから、尊敬されるのかもしれません。
身近の尊敬できる人とたくさん話をして、いろいろと話を聞けるといいですね。できなければ、尊敬できる偉人などの伝記などを読んでみるのもいいかもしれません。
嫌われるのは勇気ではありません。自分自身でいようとするために、諦めるものです。
勇気は、自分自身でいようとするためのものです。
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