今日の名言をお届けします。今回は、いしいしんじさんの小説「ポーの話」より、天気売りの言葉。
今日の名言
小説「ポーの話」の著者、いしいしんじさんは、隅田川のそばの公園で、炊き出しを目当てに、13年間寝泊りしていたという、痩せ型ノッポの不思議な人です。
そんな彼の小説「ポーの話」は、「うなぎ女」の子供として生まれた、不思議な少年の、不思議なおはなし。
その登場人物「天気売り」が、今回の名言の主です。
彼は、「晴れ」好きな、知的障害を感じさせる青年。「晴れの素晴らしさ」と「その日の天気」を、街のみなさんに伝えて歩く日々を送っています。
では、そんな彼の言葉がこちら。
「見えているものしか信じない」という人は、確かにいます。とくに以前は多かった。まるで、自分をインテリに見せる常套句のように感じました。
でも、見えているものしか信じないって、とても難しいことです。逆に、見えているものの、何を信じられるのでしょう。そもそも、自分が見ているものと他人が見ているものが同じかどうかさえ、実際には分からないのです。……などと言いだしてはきりがありませんね。ごめんなさい。
でも、他人の行動や言っていることが、見えている・聞こえているとおりとは限りません。その人の本質が、見た目どおりとも限りません。グラフや表なども、設定に抜けがあったり、ミスがあったりすれば、なにも意味しません。科学論文でさえ、しょっちゅうひっくり返ります。
そもそも「人間が見えている世界」や「理解できる世界」なんて、実際のこの物理世界の中でも、極小部分でしかないだろう、ということは、科学的にも容易に想像できるのではないでしょうか。
私たちは、見たものを頭で解釈して理解します。その理解は、人それぞれだったり、わかりやすくまちがっていたりします。結局は「見たものに対する自分のあやふやな解釈」を信じているに、すぎないのです。そんなことを考えると、見えているものしか信じない、というのは、どういうことなんだろう、と思うのです。
……とはいえ、それしか信じないのなら、それでいいのですよねー。だって、自由ですし。私のように「すべては『どう感じるか、どう思うか』でしかない」という極端な考えと、似たようなものです。
でも、見えたものしか信じないとか、科学至上主義などは、上から目線の、視野の狭ーい新興宗教のように感じることがあるのです! やですよねー、まったくもう!
………などと、また、せっかくの名言の本来の意味から外れて、訳のわからない怒りに、翻弄されてしまいました。いつもどおり、ごめんなさい…。
ひとつの名言にこだわり、記事を書いています。最近「ぼやき」になりがちで申し訳ありません。
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