【今日の名言】「ポーのきもちがほんものなら、並べた石ころだって、ほんとうの花」うみうし娘(ポーの話/いしいしんじ)

ココロの名言
この記事は約5分で読めます。

今日の名言をお届けします。今回は、いしいしんじさんの小説「ポーの話」より、うみうし娘の言葉。

スポンサーリンク

今日の名言

前回に引き続き、今回も小説「ポーの話」より。著者、いしいしんじさんは、隅田川のそばの公園で、炊き出しを目当てに、13年間寝泊りしていたという、痩せ型ノッポの不思議な人。

そんな彼の小説「ポーの話」は、「うなぎ女」の子供として生まれた、不思議な少年「ポー」の、不思議なおはなし。

その登場人物「うみうし娘」が、今回の名言主です。

純粋な水のエネルギー体を感じさせる「うみうし娘」たち。透明で美しい瘤(こぶ)をからだのあちこちにつけ、海の中、自分たちの「すみか」を探しながら生きています。主人公ポーは、そのうみうし娘と出会うことで、そのエネルギーを受け、別の身体へと生まれ変わっていきます。

うみうし娘たちは、地上の花が大好きでした。その彼女を喜ばせようと、ポーは花を持っていきますが、それは本物ではなく、造花だったのです。それを恥じるポーに、うみうし娘が言った言葉が、こちら。

この言葉には、愛がつまってますよねー。ほろっとしてしまいます。

大切なのは「何」ではなくて「なぜ」だったりするんですよね。ポーがうみうし娘たちに、花を見せて喜ばせたかった気持ち、それがいちばん大切だから、その花が本物じゃなくても、たとえ石でも、彼女たちには嬉しいのですね。

物ではなく心。前回の名言も、同じような意味でした。極端に言えば、見えるものには意味がなく、「自分の解釈」に意味があるのだ。そんなことを、ダメ人間代表の私が力説してしまいました。

今回の名言は、心の大切さがにじみ出ているので、とても好きです。子供の純粋さと、母親の愛情の純粋さを感じます。

いずれにしても、私たちは、解釈で生きています。解釈は、心に影響を与えます。愛情を感じる解釈ができると、私たちの心は喜び、幸せを感じます。幸せを感じるとき、さらに愛情が溢れるのです。

幸せも、愛情も、目に見えるものと直接の関係はなく、その解釈から生まれます。逆もそう。憎しみや苦しみも、やはり、解釈から生まれるのです。

解釈は、教育からの影響を、とても多く受けています。私たちは、幸せになりにくい解釈を学び社会で運用しています。自分にとって幸せとは何か。現代の教育では(過去の教育でもそうですが…)、それが解らなくなるので、苦しみが生まれます。

ダメ人間の私が、現代の教育などと、えらそうに言うのは、はばかれますが、……はばかれるので、やめます。いつも調子に乗って、ごめんなさい。

こちらは【今日の名言】カテゴリーです

【今日の名言】記事一覧

ひとつの名言にこだわり、記事を書いています。最近「ぼやき」になりがちで申し訳ありません。

コメント

広告

タイトルとURLをコピーしました